どうせ死ぬなら父の手で……武士道バイブル『葉隠』が伝える、我が子の首をはねた森門兵衛のエピソード:2ページ目
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門兵衛は「よくやった。きちんと相手を討ち果たしたのだから、もはや未練はあるまい。今逃げたところで切腹は免れぬ。他人の手にかかるよりも、父がこの手で殺してやろう」と言うなり、我が子の首を刎ねたそうな。
……喧嘩をした者は、その理非を問わず死罪に処する。いわゆる喧嘩両成敗の禁を犯した我が子に対し、森門兵衛は最大限の愛情をかけたのでした。
ちなみに冷え腹とは、合戦における自決や主君を諫めるなど、熱い想いがこもっていない状態の腹。つまり武士としての対面は守られているものの、実態は不名誉な切腹を言います。
終わりに
たとえ命を捨ててでも、どうしても相手が許せず喧嘩になった。その喧嘩に勝って相手を斬り倒し、きちんと止めも刺し遂げた。
法を犯して死罪になろうと、武士としての名誉はまっとうした我が子を、門兵衛は父として誇らしく思ったことでしょう。
しかし、それを証明することは、すなわち死ぬこと。生きながら誇りを守り抜くことが難しい、太平の世ならではの悩みでした。
「どんなにみっともなかろうと、いかなる恥を忍んでも、愛する我が子には生きていて欲しかった」
武士はナメられたら最後、弱音を吐いたら淘汰される戦国乱世の名残が、江戸時代にはなおも息づいていたようです。
※参考文献:
- 古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、1941年9月
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