少年時代は知ってるけど…二宮金次郎(金治郎)こと二宮尊徳って何をした人なの?:2ページ目
財政再建のプロフェッショナルとして
金次郎のすぐれた経営センスは小田原藩中でも評判だったようで、家老の服部十郎兵衛(はっとり じゅうろうべゑ)が家計の再建を金次郎に依頼しています。
5ヶ年計画でみごとに1,000両(約3,000万~5,000万円)の負債を完済、更には300両もの蓄財に成功し、頭角を現しました。
その後も藩主・大久保忠真(おおくぼ ただざね)に対して積極的に提言を行い、年貢米の升(ます)を統一。他にも困窮する藩士のために独自の金融システム五常講(ごじょうこう)を実現します。
五常講とは藩士の連帯保証による貸金制度で、藩士一人あたり一両の貸金枠を、百人で連帯保証するのです(財源の100両は、藩の公金から拠出。実際には、これが三組ありました)。
一人1両、無利息無担保で百日間借りられます。期限に遅れても罰せられたり担保を奪われたりはしませんが、返済するまで他の者は借りられません。
だから他の者に迷惑がかからないよう、みんな期限内の返済を心がけるようになりました。
余裕のある者が、困窮した者にお金を譲ること、これが仁(じん)。お金を借りた者はきちんと返すこと、これが義(ぎ)。
お金の貸し借りは助け合いなので威張ったり卑屈になったりしないこと、これが礼(れい)。返済に困らないよう、きちんと計画を立ててお金を借りること、これが智(ち)。そしてみんなが仲間を信じること、これが信(しん)。
この仁・義・礼・智・信。人間が常に備えるべき精神、すなわち五常によって支えられるシステム(講)が五常講というわけです。
他にも各地で農政改革や産業振興などに知恵を発揮し、数々の手法や思想は「報徳仕法(ほうとくしほう)」と総称されて幕末維新・明治の元勲たちも多く手本にしたのでした。
終わりに
経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である。
これは二宮尊徳の名言ですが、高く理想を掲げながらも厳しい現実に立ち向かった生涯がよく表されています。
安政3年(1856年)10月20日に70歳で世を去った二宮尊徳。その遺徳を慕う人々によって神と祀られ、小田原城に隣接する報徳二宮神社をはじめ各地から参拝者が絶えません。
数々の困難を乗り越えて自己啓発を怠らず、天下万民の公益に尽くしたその生涯。
重い薪を背負いながらも読書を欠かさぬその姿は、令和の現代に生きる私たちへ志し高くあれと訴えかけているようです。
※参考文献:
- 三戸岡道夫著『二宮金次郎の一生』栄光出版社、2022年6月
- 笠原一男 監修『学習漫画 世界の伝記 二宮金次郎 農業の発展につくした偉人』集英社、1989年9月