天下を獲ったら何したい?奥州の雄、独眼竜・伊達政宗はこう答えた!:2ページ目
「そなた、天下を獲ったら何がしたい?」
「は?」
奥州の地方勢力に過ぎない政宗はもちろんのこと、その政宗に仕える綱元が、そんなことなど考えもしなかったでしょう。
「いや、あまりに気宇壮大なことなれば、考えすらしませなんだ……時に、御屋形様が天下を獲られたら、何をご所望か?」
綱元の逆質問に、待ってましたとばかり政宗は、顔を輝かせて答えます。
「わしか?そうさな、豆飯(まめめし)と塩鰯(しおいわし)、それに芋の子汁(いものこじる)を心ゆくまで食いたいのぅ!」
どんな荒唐無稽の答えが出るかと身構えてみれば、意外な答えに、綱元はちょっと拍子抜けしたかも知れません。
ちなみに豆飯とは大豆の炊き込みご飯、塩鰯はイワシの塩焼き、そして芋の子汁は里芋(芋の子)と大根を入れた味噌汁。別に天下など獲らなくても、日常的に食べられるありきたりなメニューです。
「……ま、それもこの修羅場を生き抜ければ、じゃがの」
人取橋の戦いは伊達勢7,000に対して、佐竹ら連合軍はおよそ30,000。実に4倍超の戦力差でした。
何としてでも伊達を潰そうと目論む諸大名らの執念がうかがえます。
「生きて帰れたら、たんと豆飯など進ぜましょうぞ」
「楽しみにしておるぞ……いざ!」
果たして伊達勢は敗れ、殿軍(しんがり)を務めた鬼庭左月斎(さげつさい。鬼庭良直、綱元の父)は討死。政宗・綱元らは命からがら逃げ延びました。
このまま追撃したい佐竹勢でしたが、陣中での混乱や北条氏に背後を衝かれるなどの懸念から撤退。命拾いした政宗はやがて捲土重来を果たし、奥州の雄に成り上がります。
多くの家臣たちと共に味わいたかったであろう豆飯は、少し塩加減が狂ってしまったかも知れません。
終わりに
以上、人取橋の合戦に臨んだ伊達政宗のエピソードを紹介してきました。
よく「生きて帰れたら、好きなモノを腹いっぱい食うんだ」という話(たいてい死亡フラグ)は聞くものの、「早く天下を統一して(泰平にして)、好きな豆飯など腹いっぱい食うんだ」という発想はかなりユニークですね。
結局のところ天下統一こそ叶わなかった政宗。しかし戦国乱世を生き抜き、存分に料理を楽しんだと言います。
よく「仕事の後の飯は旨い」などと言うように、政宗も政務の後で好きな豆飯など心行くまで堪能したことでしょう。
※参考文献:
- 高橋富雄 編『伊達政宗のすべて』新人物往来社、1984年1月
- 永山久夫『レシピ付 武将メシ 戦国十九武将の“勝負メシ”を忠実に再現』宝島社、2013年3月
- 松山町史編纂委員会『松山町史』松山町、1980年7月