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槍で支えた忠義心!「槍半蔵」の異名を持つ忠臣・渡辺守綱の活躍を紹介【どうする家康】

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2023/01/31

槍半蔵として徳川家に貢献する

そんな守綱ですが、生涯に一度だけ家康に槍を向けたことがあります。それは永禄6年(1563)に勃発した三河一向一揆の時でした。

一向宗と呼ばれる浄土真宗本願寺派を信奉していた守綱は、夏目広次(演:甲本雅裕さん)や本多正信(演:松山ケンイチさん)といった他の家臣たちと共に家康に抵抗しました。一揆鎮圧後は、勝利した家康に降伏。帰参を許されました。

その後の守綱は、汚名を返上すべく姉川の戦いでは旗本一番槍として活躍。足軽大将として、三方ヶ原の戦いや長篠の戦い、小牧・長久手の戦いで先鋒を務めるといった槍半蔵の名にふさわしい功績と活躍を残しました。

尾張徳川家の槍として

家康が関東移封になる天正18年(1590)には、武蔵国比企郡(現在の埼玉県)に3,000石を与えられます。続く慶長5年(1600)には1,000石の加増と足軽100人の組頭に任命されました。

慶長13年(1608)には、尾張徳川家の祖で家康の9男にあたる徳川義直の付家老に抜擢。以後、大坂夏の陣と冬の陣に出陣した義直の初陣の後見や、尾張国に入国した際の補佐を務めました。そして、元和6年(1620)に79歳で名古屋にて死去しました。

最後に

守綱は、長らく徳川家に仕えた功績から死後に「徳川十六神将」の1人として名を連ねました。また、槍の名手として生涯槍だけで武功を挙げてきた足軽大将としても知られており、そんな印象から口数の少ない無骨な武将として思ってしまいます。

守綱の生涯を振り返って、槍は一級品であることはわかりましたが、トークは一級品であることはわかりませんでした。

そのため、木村昴さん自体が明るくムービーメーカー的な性格をしているので、どうする家康では性格が合いまった一級品のトークで、家臣団のムービーメーカーになるかもしれませんね。

トップ画像(左):大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

 

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