若き松平元康の一大ミッション!桶狭間の前哨戦「大高兵粮入」とは【どうする家康】:2ページ目
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「……言いおる。持たされたのが花となるよう、抜かりなく励めよ」
「ははあ……」
そんなやりとりが実際あったのかどうか、ともあれ元康は「大高兵粮入れ」の難任務をみごとにやり遂げました。
これが後に「海道一の弓取り」と称された家康の武略はじめとして、広く天下に知られるところとなったのです。
終わりに
……まづ大高城へは一族鵜殿長助長持を籠置しが。此城敵地にせまり軍粮を運ぶたよりを得ず。家のおとなどもをあつめ評議しけれども。この事なし得んとうけがふ者一人もなし。志かるに 君はわづかに十八歳にましヽヽけるが。かひゞヽしくうけがひたまひ。敵軍の中ををしわけ難なく小荷駄を城内へはこび入しめられければ。敵も味方もこれをみて。天晴の兵粮入かなと感歎せずといふものなし。これぞ御少年御雄略のはじめにて。今の世まで大高兵粮入とて名誉のことに申ならはしける……
※「君(徳川家康)」の前にある空白は、名前(または代名詞)のすぐ上に文字がくるのを不敬としたための配慮(原文ママ)です。
※『東照宮御實紀 巻二 弘治三年-永禄二年』大高兵粮入より
以上、若き元康の「大高兵粮入れ」を紹介しました。大高城を守備していたのが鵜殿長照(演:野間口徹)かその父・鵜殿長持か、元康自身が買って出たか指名されたかが大河ドラマとの大きな違いですね。
「どうする家康」では、武将としてまだまだ今一つな元康。これが三河家臣団に支えられながらどのように成長していくのか、桶狭間で討死してしまった義元の代わりに見届けていきましょう!
※参考文献:
- 成島司直ら編『徳川実紀 第一編』経済雑誌社、国立国会図書館デジタルコレクション
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