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久しぶりの登場!しかしなぜ…丹後局・高階栄子(演:鈴木京香)とはどんな女性だった?【鎌倉殿の13人】

久しぶりの登場!しかしなぜ…丹後局・高階栄子(演:鈴木京香)とはどんな女性だった?【鎌倉殿の13人】:2ページ目

同年10月に覲子内親王(きんしないしんのう。宣陽門院)を生んだ栄子はますます寵愛され、政治にも介入するようになりました。

この様子を九条兼実(演:田中直樹)は日記『玉葉』で「……朝務は偏にかの唇吻にあり……(意:朝廷のまつりごとは、ただ彼女の唇≒口添えによって決められている)」と皮肉っぽく書いています。

宮中の公卿たちも栄子を楊貴妃(ようきひ。大陸唐代における傾国の美女)になぞらえ、彼女には羨望と嫉妬の眼差しが注がれたことでしょう。

寿永2年(1183年)に平家が安徳天皇(演:相澤智咲)を連れて都落ちしてしまったので、代わりの帝を立てようとした時、後鳥羽天皇(演:尾上凛→尾上松也)を推したのが栄子と言われます。

その後も出世した栄子は文治3年(1187年)に従三位、建久2年(1191年)に従二位まで昇りました。しかし建久3年(1192年)に後白河法皇が崩御すると彼女も出家。

しかし娘の宣陽門院と共になおも政治介入を続け、源頼朝(演:大泉洋)と連携する九条兼実を追い落とすべく、土御門通親(演:関智一)と組みました。

果たして兼実を失脚(建久七年の政変)せしめた栄子ですが、建仁2年(1202年)に相方の通親が薨去。加えて成長した後鳥羽上皇が院政を本格化すると、彼女らは政権から疎外されていきます。

かつて推した後鳥羽上皇によって引導を渡されてしまった栄子。さすが(彼の優秀さを見抜いた)慧眼と言うべきなのでしょうか。

やがて宮中を去った栄子は亡夫・平業房の遺領である浄土寺に移住。人々からは浄土寺二位(じょうどじのにい)などと呼ばれ、建保4年(1216年)に亡くなったのでした(諸説あり)。

終わりに

以上、丹後局こと高階栄子の生涯を駆け足でたどってきました。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第42回放送時点(建保2・1214年~建保5・1217年)では最晩年の登場になります。

果たして彼女は政子にどんな言葉を伝えるのか……そして政子がどう太刀打ちするのか、今から楽しみですね!

※参考文献:

  • 円地文子 監修『人物日本の女性史5 政権を動かした女たち』集英社、1977年7月
  • 古代学協会 編『後白河院 動乱期の天皇』吉川弘文館、1993年2月
 

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