意外と文化的!織田信長の「食」の嗜好を多面的に考えてみる:3ページ目
開かれたグルメ
実は戦国時代、多くの大名から尊敬と信頼を集めていた曲直瀬道三(まなせ・どうさん)という医師がいました。
信長も彼のことを尊敬しており、正倉院に伝わる宝物を携えて、彼の屋敷を訪ねて親交を温めていたという話があります。
その道三は、著書の中でこう述べています。
「(酒は)飲み過ぎるくらいなら飲まない方がいい」
「私は月に4、5回ごちそうを食べるが、普段は粗食で肉と魚は食べないので胃腸がスッキリしている。好物でも食べ過ぎず、一口残すようにせよ」
これだけでも現代に通じる内容ですが、他にも道三は、日本人は布団の中に入ってもあれこれ考えてしまうほど神経が張り詰めているので、不健康だから4~6時間も休んだら起きた方がいい、睡眠時間は短くてOK、ということも述べています。
信長が、道三から直接にどのような助言を受けていたかは不明ですが、どんな意外な理論でも自分が納得すれば受容する(宣教師から齎された「地球は丸い」という教えなど)信長です。尊敬する医師のアドバイスも受け入れいていたことでしょう。
よって、信長の節度ある食生活も、こうした教えに基づいていた可能性があります。
また、徳川家康などもかなりの健康志向で、食にはこだわりがあったらしく、昔から食を通したスタンダードな健康思想が存在していたことが分かります。
それに、実はかぼちゃ、スイカ、唐辛子、玉葱、じゃがいも、サツマイモ、ほうれん草、トマト、葡萄にイチジクなど、今では当たり前のように手に入る食材の多くが、この時代に海外から齎されたものでした。
さらに言えば「揚げる」という調理法も、この時代に伝来したものです。
料理が気に入らないとコックを殺そうとする、というエピソードだけを聞くと、信長は自分の舌しか信じない傍若無人なグルメという印象を受けます。
しかし、彼の食生活について、その背景も含めて見ていくと、医師によって唱えられた健康法や、海外からもたらされた新しい食文化などの影響もしっかり受けている「開かれた」グルメだったことが分かります。
彼の食の好みは、意外なほど文化的かつ多面的だったのです。
参考資料
meiji
はじめての三国志
オリーブオイルをひとまわし
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