斎藤道三の娘にして織田信長の正室・濃姫の波乱と謎に満ちた生涯を追う【後編】:2ページ目
2ページ目: 1 2
「安土殿」イコール濃姫?
最後の四つ目の説が、本能寺の変の後も生き延びたとする生存説です。織田家に仕えていた家臣団についてまとめた書物『織田信雄分限帳』には安土殿という女性が登場するのですが、これが濃姫ではないかとされています。
同書には織田家の女性達の化粧料についての記載がありますが、安土殿は全体の中で三番目に高い600貫となっており、かなり身分が高い女性だったようです。
また安土・総見寺所蔵の『織田家過去帳』によると、安土殿の戒名は「養華院殿要津妙玄大姉」とされており、そこには「慶長十七年壬子七月九日 信長公御台」と記載されています。
一般的に御台とは正室を指すことから、安土殿が濃姫だという説が最も有力と言えるでしょう。これが正解なら、濃姫は1612(慶長17)年、78歳まで生きたことになります。
時代に翻弄されたと言っても過言ではない人生を送った濃姫。その生涯は謎に包まれていますが、穏やかな余生を送ったと考えたいものです。
ページ: 1 2