決めごとは隅々まで明瞭に!戦国武将・北条氏康が行った税制改革とは?
不合理な税制を改革
伊豆国と相模国、武蔵国を治めていた北条氏の三代目にあたる北条氏康は、戦国武将としても有名ですが、実は税制改革を行った有能な統治者でもありました。
彼は1546年の河越の戦いで関東の新たな勢力として台頭し、その領土を広げていきます。同時に外交政策にも熱心で、武田信玄や今川義元と手を結び、甲相駿三国同盟という同盟を結んだりしています。
これだけでもなかなかの手腕ですが、氏康は1550年に大きな税制改革を行いました。
それまでは諸点役と呼ばれるさまざまな税が存在しており、中には用途が不明瞭だったり計算が難しいものもありました。納税する側はもちろん、徴収する側にも負担があったといいます。
決めごとは隅々まで明瞭に
氏康はこの諸点役を整理し、まず貫高の6%にあたる段銭と、4%にあたる懸銭の2つにまとめました。これらは合計すると10%、貫高のちょうど10分の1になるため税の計算も簡単です。
この段銭と懸銭に加えて、現在の固定資産税にあたる棟別銭の3つの項目に単純化・統一化して徴税するようにしたのです。
これにより人々の税負担額が大きく減ったわけではありませんが、制度が分かりやすく明確になり、納税側も徴税側も負担が軽くなりました。また一部で行われていた、領主による一方的な搾取も改善されます。
この他にも、彼は小田原衆所領役帳という台帳を作成。所領に応じて課される役を定めた台帳のことで、例えば出陣時に参加しなければいけない人数について、騎馬兵は何人、槍兵は何人用意するといったところまで非常に細かく定めたのです。
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