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俺たちの北条泰時、実は和田合戦の際に二日酔いだった件 『吾妻鏡』より【鎌倉殿の13人】

俺たちの北条泰時、実は和田合戦の際に二日酔いだった件 『吾妻鏡』より【鎌倉殿の13人】:2ページ目

「……あの朝比奈三郎(義秀。演:栄信)が門をぶち破って乱入してきた時は、もうダメかと思いました。『南無八幡大菩薩、今後はいっさい断酒いたしますから、どうかご加護を』私はそう誓ったのです」

しかし喉元過ぎれば何とやら、遮二無二戦って血路が開けると余裕が出てきて、気づけば喉が渇いていました。

「本当は、私も水を飲みたかったのです。でも、戦さの極限状況下にあってはそんな選り好みなど言ってはいられません。そこへ葛西六郎(かさい ろくろう)が差し出してくれた竹筒の中身が酒だったからと言って、誰がこれを断れるでしょうか?」

これは水分として摂取するのだからあくまでも水分なのであって、ちょっとくらい(例えば1~2割くらい)アルコールが混じっていたからと言って、それを酒と決めつけてしまっていいのでしょうか。

いや、よくない。六郎の好意を無下にするなんて許されない。ここは責任をもって、しっかりと好意を受け止めなければなりません。

「……と思ったら、近くに尾藤次郎(びとう じろう。景綱)がいたので、竹筒の中身を分けることにしました。彼こそは真の忠臣です。なぜなら『禁酒の誓いはどうしたんですか?』などと聞かなかったのですから」

一同大爆笑。まぁ、今後は「なるべく大酒を呑まない」という誓いに変えたということです。

終わりに

……又昨今兩日。致合戰之輩。多以參匠作御亭。々主勸盃酒於件來客給。此間被仰云。於飲酒者。永欲停止之。其故者。去朔日入夜。有數献會。而曉天〔二日〕義盛襲來刻。憖以着甲冑。雖令騎馬。依淵醉之餘氣。爲惘然之間。向後可断酒之由。誓願訖。而度々相戰之後。爲潤喉尋水之處。葛西六郎〔武藏國住人〕取副小筒与盞勸之。臨其期。以前之意。忽變用之。至盞者給景綱〔尾藤次郎〕人性於時不定。比興事也。但自今以後。猶不可好大飲云々。

※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)5月3日条

以上、泰時の二日酔いエピソードを紹介しました。まぁ、酒飲みの断酒宣言なんて、義時が口にする「鎌倉のため」くらい軽いノリ。いちいち真に受けちゃいけません。

ちなみに泰時は、承久の乱で出陣した際も酒宴を開いており、やっぱり断酒なんて出来ないのでした。

酒は呑んでも呑まれるな。果たして大河ドラマではどんな酔っぱらいぶりを演じてくれるのか、今から楽しみにしています。

※参考文献:

  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡7 頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月
  • 羽生飛鳥『『吾妻鏡』にみる ここがヘンだよ!鎌倉武士』PHP研究所、2022年9月
 

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