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深夜のテンション恐るべし…鎌倉御所で御家人たちが大喧嘩、死者まで出る非常事態に【鎌倉殿の13人】

深夜のテンション恐るべし…鎌倉御所で御家人たちが大喧嘩、死者まで出る非常事態に【鎌倉殿の13人】

喧嘩の原因は「枕相論」

晴。去夜鬪乱者。宿直之間起於枕相論。刄傷二人者。伊達四郎。萩生右馬允等也。死者兩方郎從也。今日各配流。伊達佐渡國。萩生日向國云々。御所中狼藉。殊依有其咎。及急速沙汰云々。
※『吾妻鏡』建暦2年(1212年)6月8日条

明けて翌朝。取り調べの結果、伊達と萩生の争った原因は「枕相論(まくらそうろん)」とのこと。

この枕相論の解釈には諸説ありますが、色恋ごとであるとも、枕の位置≒宿直に際してどこで寝るかで争ったなどとも言われます。

もし前者であるなら「あの鎌倉殿にお仕えしている女房、可愛いな」「あやつはそれがしが狙っておるのだ、そなたにはやらぬ!」「何だと!そう言うわぬしの女でもあるまいに」……的な話しをしていたのでしょうか。

あるいは後者だとしたら「おいどけ、そこはそれがしのお気に入り仮眠スポットなのだ」「何だと!そなたに占有権があるわけでもなかろうに」……なんてやりとりがあったのかも知れません。

いずれにせよ大の大人が殺し合いをおっ始(ぱじ)めるようなテーマでなかったことは想像に難くないでしょう。

「バカモン!鎌倉の治安を守るべき侍所での乱闘騒ぎ、決して看過できるものではない。よって此度は死一等を減じ、伊達は佐渡国(現:新潟県佐渡ヶ島)へ、萩生は日向国(現:宮崎県)へそれぞれ遠流に処す!」

事態を重く見た鎌倉殿・源実朝(みなもとの さねとも)はなかなか例を見ないスピード判決を下し、両名を遠流(おんる。遠国へ流罪とすること)に処したのでした。

終わりに

晴。依去月刄傷事。可被造替御所侍之由。相州。大官令等令致沙汰。而雖無其儀。不可有憚之旨。雖有計申之輩。不能御許容。仰千葉介成胤。可造進之由。被定之云々。

※『吾妻鏡』建暦2年(1212年)7月2日条

その後、実朝は流血事件によって穢れてしまった侍所の建て替えを命じます。

「えぇ~……ちょっと予算が……ねぇ?」

「占いによれば、(建て替えなくても)特に支障はないとのことでしたし……ねぇ?」

北条義時(ほうじょう よしとき。相州)と大江広元(おおえ ひろもと。大官令)は無駄な出費を渋りましたが、実朝は引き下がりません。

「ダメだ。こういうのはキチンとしなければいかんのだ」

という訳で実朝は千葉介成胤(ちばのすけ なりたね)に命じて侍所を建て替えさせたということです。

深夜のテンションが招いてしまった鎌倉の大事件。現代の私たちも、ついカッとなって人生を狂わせないよう、気をつけねばなりませんね。

※参考文献:

  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 7頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月
 

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