源頼家の妻つつじ(北香那)のモデル・辻殿は、どんな女性だったのか?【鎌倉殿の13人】:3ページ目
先に男児を生んだ方が正室?
【辻殿の生涯・関係略年表】
年代不明 誕生
治承5年(1181年) 父・賀茂六郎が処刑される
年代不明 頼家の室となる
正治2年(1200年) 善哉(公暁)を生む
建仁3年(1203年) 頼家が修善寺に幽閉される
元久元年(1204年) 頼家が修善寺で横死する
承元4年(1210年) 出家する
建暦元年(1211年) 善哉も出家、公暁と改名
以上、辻殿の生涯を駆け足でたどってみました。頼家が殺されてすぐに出家しなかったのはなぜなのか、気になりますね。
ちなみに頼家の愛妾とされた若狭局ですが、彼女の生んだ一幡は嫡男として扱われており、果たして室である辻殿とどっちが正室なのかはっきりしません。
これについて、若狭局は嫁いだ当初こそ愛妾だったものの、先に男児(一幡)を生んだから正室に格上げされた(とうぜん一幡は嫡男に)との説もあるとか。
この場合、室であった辻殿は立場を追い越されてしまった形に。彼女たちが「どっちが先に男児を生むかレース」を繰り広げていた可能性も考えられます。
「先に男児を生んだ方を正室とする。とうぜん、正室の生んだ男児は嫡男となる」
そんなことを頼家が言ったのでしょうか。あるいは最初こそ辻殿が正室だったものの、若狭局に先を越されてしまったため、(側)室に格下げされたのかも知れません。
この辺りのいざこざ感を、大河ドラマではどのように描くのでしょうか(あるいは割愛するかも知れませんが)……少なくとも、平穏に終わることはなさそうです。
終わりに
果たして一幡は頼家幽閉に伴って殺され、公暁は出家して鎌倉殿の座は千幡(せんまん)改め源実朝(演:柿澤勇人)が継ぐことに。
本当なら、自分が鎌倉殿を継ぐはずだったのに……成長した公暁が実朝を逆恨みし、ついには暗殺してしまうのは広く知られる通りです。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では正室として扱われる“つつじ”。彼女と公暁の母子がどのように描かれ、また若狭局らと対峙していくのか。今から楽しみですね!
※参考文献:
- 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典 4 き-く』吉川弘文館、1984年1月
- 坂井孝一『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』PHP新書、2020年12月