江戸城を襲撃!天皇を脅迫!?軍学者・由井正雪による恐怖のテロ未遂事件「慶安の変」はなぜ起きたのか:2ページ目
治安の悪化と由井正雪の憂い
この頃になると、関ヶ原の戦いや大坂の陣で発生した浪人に加えて、さらに改易処分により職を失った武士達が浪人となり江戸市中に大量にあふれていました。
しかし、幕府は浪人たちに対して生活の保障や保護等の対策をしなかったため、一部の寺子屋や道場の師範となり収入を得る者を除いて、大半の浪人達は仕事もなく生活に困るようになっていきます。
生きていくために武士の誇りも捨てて渡世人となったり、盗賊になる者さえいました。
江戸市中の治安は悪くなり、社会にも不穏な空気が漂い始めます。
そんな世の中の状況を憂いたのが軍学者である由井正雪でした。
由井正雪は駿府(静岡県)の生まれと言われており、駿府から江戸に移住し兵法を教える塾を開きます。
この塾は一躍江戸中で評判となり、最盛期には3千人もの門下生がいる一大塾となりました。
有名人となった正雪には幕府や各地の大名から講義の依頼や仕官の話がたくさん来ていましたが、正雪は幕府や大名へ仕官する道は選びませんでした。
塾へ集まってくる浪人たちを見て、これらの人達を救うために幕府を倒して世の中を変えるしかないと考えるようになっていたからです。
そんな中、慶安4(1651)年に武断政治を推進していた3代将軍徳川家光がこの世を去ります。
後を継いだ4代将軍の徳川家綱は幼少でまだ11歳。正雪はチャンスが来たと思ったのでしょう、ここで幕府転覆計画を立案し始めます。