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江戸城を襲撃!天皇を脅迫!?軍学者・由井正雪による恐怖のテロ未遂事件「慶安の変」はなぜ起きたのか

江戸城を襲撃!天皇を脅迫!?軍学者・由井正雪による恐怖のテロ未遂事件「慶安の変」はなぜ起きたのか:3ページ目

粗雑な計画の失敗

その計画とはこうです。まず、宝蔵院流の槍の達人・丸橋忠弥に江戸城を襲撃させ、火薬庫を爆破させて火事を起こして江戸の町を火の海にします。

その混乱を突いて将軍を拉致、そして京都では正雪が天皇を脅して幕府討伐の勅命を出させて、官軍となった軍勢で地方を制圧していくというものでした。

ただこの計画は、軍学者が立案したものにしてはかなり雑で、情報もすぐに漏れました。味方であったはずの浪人の一人が幕府にこの計画を密告してしまったのです。

そして、この陰謀に加担した浪人たちは全員捕縛され処刑されてしまいます。正雪自身も駿府で隠れているところを幕府の役人に見つかり、自害しました。

幕府首脳はこの事件に対して事の深刻さに気づきます。これまでのような武断政治をしていては、治安が悪くなり再び反乱が起きてしまうと考えるようになります。

そして、これ以上浪人を増やさないようにするため、これまでの武断政治から文治政治へと大きく政治方針を変えていきます。

末期養子に関する規則を緩和して、後継者が決まっていなくても藩が存続できるようにしたり、浪人も安定した生活ができるように考慮した政策を出したりと、幕府は動き始めます。

さらに、この頃になると幕府の権力も安定し武術などに力を入れる必要がなくなってきていたため、学問を積極的に奨励し始めます。

慶安の変は、武断政治から文治政治へ幕府の方針が転換していくきっかけとなったのです。

 

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