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戦国時代に「味噌」が重宝されたのは何故?その起源と歴史を辿る

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味噌は「食糧」で「栄養源」

さて室町時代には大豆の生産量が増え、農民たちも自家製味噌を作るようになりました。こうして、味噌は保存食として庶民の間にも浸透していきます。今に伝わっている味噌料理のほとんどが室町時代に作られたとされています。

戦国時代になると、味噌は武士たちの食糧として重宝されました。

武士は米と味噌を兵糧として携帯します。味噌は単なる調味料というだけではなく、重要なたんぱく源として考えられていたのです。

例えば、伊達政宗は「塩噌蔵」と呼ばれる日本で初めての味噌工場を建設しています。また、武田信玄は遠征などに備えて味噌づくりを推奨していました。戦国武将の出身地に味噌どころが多いのはこういったことが理由になっているんですね。

さらに徳川家康は、具沢山の味噌汁を食べていたとされていますが、彼は平均寿命が40代未満だった時代に75歳と長寿を保ちました。以来、徳川家では代々の将軍も家訓として食膳に味噌汁を欠かさないようにしていたそうです。

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江戸時代になると、味噌はなくてはならないものとして人々の生活に浸透していきます。需要に対して生産が追い付かなくなると、三河や仙台からどんどん味噌が江戸に送られるようになり味噌屋は大変繁盛したそうです。

当時は「医者にお金を払うよりも、味噌屋に払え」とまで言われ、どれだけ味噌が当時の人にとって重要だったかが分かりますね。

このように、味噌は約1300年以上にわたって、日本人の食生活の中ではぐくまれて発展してきました。

今でも、味噌は全国各地のさまざまな地域で気候風土や食習慣・嗜好にあわせて生産され、そして郷土料理の調味料として用いられています。

参考資料

 

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