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春は出逢いと別れの季節…『古今和歌集』より、行動を起こす決意を詠んだ源寵の和歌を紹介

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源寵のプロフィール

そんな寵は源精(くわし)の娘で、第52代・嵯峨天皇から見て曾孫に当たります。

【略系図】嵯峨天皇-源定(さだむ)-源精-寵

また兄弟(同母かは不明)に源浮(うかぶ/うく)がおり、代々一文字名なのが面白いですね。

寵という文字には「うつくしむ=大切に慈しむ」「恵む」などの意味があり、例えば寵愛という言葉は「愛情を恵む」「大切に愛する」という意味に。

この「うつくしむ」は「美しい(大切にしたい要素を備えている)」の語源でもあり、父・精がよほど彼女の誕生を喜び、愛情を注いだかが偲ばれます。

ちなみに『古今和歌集』にはもう二首ばかり、寵の詠んだ和歌が収録されているので、そちらも紹介しましょう。

しののめの 別れを惜しみ 我ぞまづ
鳥より先に なきはじめつる

※『古今和歌集』巻十三より

【意訳】夜明けの別れを惜しみ、一番鶏が啼くより先に、私が泣いてしまいました。

東雲(しののめ)は文字通り東の空に浮かぶ雲、それが見えるということはもう夜明け。夜中に通って来てくれた夫がもうすぐ帰ってしまう……鶏の鳴き声がその合図でした。

「また今夜」彼はそうお決まりを言うでしょうが、その言葉を信じて待ち続けた結果が冒頭の公利です。

山がつの かきほにはへる あをつづら
人はくれども ことづてもなし

※『古今和歌集』巻十四より

【意訳】山奥のわび住い。その生垣に青いつる草がのびているので、たぐり寄せたものの、言づての一つもありません。

山賤(やまがつ)は山中に住む樵(きこり)や狩人など、身分の低い者を指します。転じて「山奥にポツンと住んでいるような侘しい暮らし」を意味しているのでしょう。

想い人を待ちわびていたら、いつの間にか垣穂(かきほ。生垣)に青葛(あをつづら。つる草)がのびていたので、みっともないから引っこ抜こうとたぐり寄せます。

その様子を「人はくれども(つる草をたぐっても)」=「人(使いの者)は来れども」にかけ、彼からのメッセージはないかと期待しても、お決まりのあいさつばかりで何もありません。

なんだ……彼女の落胆ぶりが目に浮かぶようです。

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