【鎌倉殿の13人】北条の敵か味方か…市原隼人が演じる北関東の梟雄・八田知家の生涯を予習:2ページ目
叱られることもあるけれど、元気に活躍する知家
そして治承4年(1180年)、知家は頼朝の挙兵にいち早く呼応。下野国茂木郡の地頭職を安堵されます。
一方、兄の朝綱は京都にいたため平清盛(演:松平健)に抑留され、元暦元年(1184年)に解放されるまで無聊をかこつことに。
知家は寿永2年(1183年)2月、頼朝に叛旗を翻す志田義広(しだ よしひろ。頼朝の叔父)を討つべく、義理の従兄である小山朝政(演:中村敦。小山政光の子)に従軍。野木宮合戦(現:栃木県野木町)でこれを撃破しました。
その後も元暦元年(1184年)8月、源範頼(演:迫田孝也)の率いる平家追討軍に参加して武功を立てます。しかし頼朝に許可なく朝廷から官位(右衛門尉)を受けたことで、朝政ともども頼朝から罵倒されてしまうのでした。
右衛門尉友家
兵衛尉朝政
件の兩人鎭西へ下向之時、京に於て拝任令む事、駘馬之道草を喰うが如し。同じく以て下向す不可之状、件の如し。※『吾妻鏡』元暦2年(1185年)4月15日条
【意訳】友家(知家)、そして朝政。お前ら……九州(平家討伐)へ行かせたと思ったら、京都で官位を受けているとはどういうことだ。
こういうのを「駄馬が道草を食う」と言うのだ。他の(勝手に官位を受けた)連中と同じく鎌倉に戻って来ることを許さんからな!
……かくして頼朝から鎌倉への出禁を食らってしまいましたが、しばらく後にほとぼりが冷め、鎌倉入りを許されています。
ここで彼らを本当に締め出したら、逆に鎌倉が滅ぼされかねませんからね。
さて、気を取り直して文治5年(1189年)7月、奥州藤原氏の征伐する奥州合戦では千葉介常胤(演:岡本信人)と共に東海道大将軍を拝命。東北地方を太平洋側から攻め上がっていきました。
戦列に参加した兄の朝綱はこの奥州合戦で武功を立て、頼朝から「坂東一の弓取り」と絶賛されています。果たしてその活躍ぶりは大河ドラマで描かれるでしょうか。楽しみですね。