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【鎌倉殿の13人】北条の敵か味方か…市原隼人が演じる北関東の梟雄・八田知家の生涯を予習

【鎌倉殿の13人】北条の敵か味方か…市原隼人が演じる北関東の梟雄・八田知家の生涯を予習:3ページ目

謀略で政敵を陥れ、常陸国守護に

さて、頼朝の下で順調に活躍していた知家ですが、下野国内では勢力拡大に限界を感じていたようです。

何せ国内には大豪族の小山一族がおり、また兄の朝綱と争っても意味がありません。

「よし、東の常陸国(現:茨城県)へ進出しよう!」

という事で建久4年(1193年)、知家は常陸で勢力を張っていた多気太郎義幹(たけ たろうよしもと)を陥れます。

まず、手の者に「知家が義幹を討とうとしている」という噂を流させました。すると義幹は用心のため兵を集めます。当然の反応ですね。

そして次は知家が義幹に直接「富士野で狼藉(曽我兄弟の仇討ち)が発生し、頼朝の身が危ないから、一緒に来てくれないか」と要請しました。

かねて知家の襲撃を警戒していた義幹は、罠と判断して要請を拒否。これが悪手でした。

「多気は謀叛を企んでいるぞ!兵を集めて城に立て籠もり、鎌倉殿のピンチに駆けつけないことが何よりの証拠だ!」

「そんなバカな!」

知家は鎌倉に義幹の謀叛を訴え出ます。裁判の結果、状況証拠などから義幹の有罪が確定。あわれ改易(所領没収)処分となってしまいます。

義幹さえ追い出してしまえば後はこっちのもの……知家は常陸国に所領を得て本拠地を移転。常陸国守護に任じられたのでした。

エピローグ

その後、建久10年(1199年)に頼朝が没すると「鎌倉殿の13人(十三人の合議制)」の一人として2代目将軍の源頼家(演:金子大地)を補佐します。

頼家の信任も篤く、後に北条氏との対立がエスカレートした建仁3年(1203年)。北条派の機先を制するべく頼家の叔父・阿野全成(演:新納慎也)を討ち取りました。

しかし北条氏の方がより上手で、頼家は最大の後ろ盾であった比企能員(演:佐藤二朗)を喪い、鎌倉から追放されてしまいます。

かくして鎌倉幕府の実権は北条氏に移っていくのですが、そんな中でも滅ぼされないだけの勢力を保ち続け、建保6年(1218年)3月3日に77歳で世を去ったのでした。

北条の敵か味方か……と言うなら敵となった知家ですが、知家のみならず彼らが味方したのは北条ではなく、鎌倉殿です。

喩えるなら扇の要のように、鎌倉殿あってこそ、御家人たちも利害を超えて力を合わせられたのでした。

これからますます盛り上がる「鎌倉殿の13人」において、ワイルドでカッコいい知家がどんな活躍を魅せてくれるのか、楽しみですね!

※参考文献:

  • 高橋修 編『実像の中世武士団 北関東のもののふたち』高志書院、2010年8月
  • 野口実『東国武士と京都』同成社、2015年10月
  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月

トップ画像:NHKホームページより

 

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