腹黒、虚言、そして内部粛清…主家を滅亡へと導いた稀代の奸臣・久武親直
名将なれど「腹黒い」?
安土桃山時代の戦国武将で、久武親直(ひさたけ・ちかなお)という人物がいました。
彼は長宗我部氏の家臣で、主君の長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)は、もともとは親直の兄である久武親信(ちかのぶ)を重用していました。親信は誠実な人柄だったようです。
この、兄の親信は、弟の親直について「腹黒い男だから取り立てぬよう」と、主君に忠告していたそうです。現在の視点から見ると、これがいわば「予言」となって長宗我部氏は滅亡の道を歩んでいくことになります。
兄の親信が戦死したのは、1579(天正7)年の西伊予の西園寺氏攻めの最中のことでした。主君の長宗我部元親は、先の忠告があったにも関わらず、弟の親直を久武家の当主とします。
家督を継いだ親直は、武将としての有能ぶりを発揮します。兄が成しえなかった西園寺氏の攻略を5年かけて果たし、さらに東伊予の金子氏も臣従。伊予平定をやってのけたのです。
また1582(天正10)年の中富川の戦いでは阿波・讃岐の領主と戦い、参謀として活躍します。この勝利の勢いに乗って、彼は1585(天正13)年には四国全土を手中に収めました。
ところが、ここで豊臣秀吉が登場します。