腹黒、虚言、そして内部粛清…主家を滅亡へと導いた稀代の奸臣・久武親直:2ページ目
後継者問題で立ち込める暗雲
四国全土を支配してからわずか数カ月後、秀吉が10万余りの大軍で四国へ出兵。長宗我部元親は敗戦を重ねて、3カ月ほどで降伏しました。彼は秀吉に臣従し、土佐一国のみを収める形になります。
この折、長宗我部家内では別の問題が勃発していました。後継者問題です。元親の嫡男で、将来を有望視されていた信親が1587(天正14)年の戸次川の戦いで戦死したのでした。
そこで、元親は四男の千熊丸(盛親)を後継者に指名します。そのために、信親の娘(つまり元親の孫)を娶らせたりもしました。
しかし、盛親の2人の兄はまだ存命です。このことを理由に、家臣の吉良親実(元親の弟である吉良親貞の子で、元親の甥にあたる)と、やはり長宗我部家の親戚にあたる比江山親興が反対します。
それでも、盛親の2人の兄は既に他家の養子となっていたこともあり、後継者は盛親ということで落ち着きました。
この後継者問題に、久武親直が関係してきます。上記の後継者問題はいわばお家騒動ですが、この騒動を理由に、先述した吉良親実と比江山親興の2人を処刑させたのです。親直は、元親に讒言を用いて彼らを陥れたのでした。
吉良・比江山の2人は、親直にとっては政敵にあたる人物でした。親直はお家騒動にかこつけて、政敵を滅ぼしたのです。
親直の讒言を信じてしまう主君も主君ですが、長宗我部元親は、信親の死後は完全に覇気を失って狭量な性格になっていたといいます。