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後鳥羽院の祟り!?怨霊化したことで皇統を守った後鳥羽上皇

後鳥羽院の祟り!?怨霊化したことで皇統を守った後鳥羽上皇

その後、院への合力を拒否した三浦義村と、泰時とともに京に攻め上った北条時房があいついで死亡。その3年後には、なんと四条天皇が12歳で崩御してしまいます。

その経緯については以前も記事としてまとめてありますが、四条天皇は、御所の廊下に滑石を撒いて女房たちを転ばせようといたずらをしようとしていたところ、自分が転んでしまい、それが元で亡くなってしまいました。

いたずら心が悲劇へ。12歳で亡くなった四条天皇の運命と歴史のその後が壮絶すぎる

1221年、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が、鎌倉幕府執権北条義時(ほうじょうよしとき)に対して討伐の兵を挙げました。日本史上はじめての公家と武家との政権争いとされているこの戦いですが、結果的に幕府軍…

加えてこの時期、夜空に彗星があらわれたり、鎌倉では大火が発生、全国的な旱魃もあって、凶事が続きます。

ここに至って、朝廷と幕府は後鳥羽上皇の怨霊の鎮魂に本格的に乗り出します。まず「徳」という字が怨霊になりやすいというということから、「顕徳院」という諡号改め「後鳥羽院」の追号を贈りました。そして、後鳥羽院のかつての離宮跡には、院の御影堂が建立されました。これは現在の水無瀬神宮となります。さらに幕府は鶴岡八幡宮境内に、後鳥羽院、順徳院を合祀する新若宮をつくり、怨霊の鎮魂に努めたのでした。

四条天皇の崩御の後は、上皇の孫にあたる後嵯峨天皇を即位させ、怨霊を鎮めようとしました。このような流れによって、結果的に皇統が再び後鳥羽上皇の直系の子孫に戻ることになったのです。

参考

竹田恒泰『怨霊になった天皇』(2009 小学館文庫)

 

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