絶対に許さない!我が子の仇を討った豪傑・膳巴堤便の虎退治エピソード:2ページ目
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「畏き神は我に愛しい独り子を与え給うたが、それを奪われた以上、命を惜しんでも意味がない。なぜならば勅命を奉じてあらゆる艱難辛苦を乗り越えるのは、ひとえに我が子を愛し、使命を次世代を受け継がせるためだからである」
【原文】……(前略)……敬(つつし)みて糸倫(みことのり)を受け、陸海(くぬがうみ)に劬労(たしな)みて、風に櫛(かしらけず)り雨に沐(ゆあみ)して、草(かや)を藉(まくら)し、荊(しば)を斑(しきい)にすることは、其の子を愛(め)でて、父(おや)の業(わざ)を紹(つ)がしめむが為なり……。
※『日本書紀』より
巴堤便は跳びかかって来た虎の口に手を突っ込んでその舌を引っ掴み、右手の刀で刺し殺すと、武勇と報復の印として全身の皮を剥ぎ取ります。
「こんなものを持ち帰ったところで、虚しいばかりではあるが……」
かくして同年11月、任務を果たした巴堤便は百済より帰国、欽明天皇に事の次第を報告したということです。
終わりに
以上、任務に妻子を同行したために我が子を虎に食い殺されてしまった膳巴堤便の武勇伝を紹介しました。
これだけ聞くと「危険な場所へ妻子を連れていくから、こんなことになるんだ」と思ってしまいますが、それは「日本にいる方が確実に安全」という現代的な感覚であり、妻子を任せられるほど頼もしく信用に足る縁者がいなかったのかも知れません。
我が子の仇をとるためならば、どんな猛獣であろうと立ち向かう(本当なら、守りたかったところでしょうが)。そんな巴堤便の姿は、今も昔も変わらぬ親心を示しているようです。
※参考文献:
- 宇治谷孟 訳『全現代語訳 日本書紀 下』講談社学術文庫、1988年8月
- 佐伯有清 編『【新装版】日本古代氏族事典』雄山閣、2015年9月
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