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線香よりも竹刀の音を…近藤勇の志を継いだ明治時代の剣客・近藤勇五郎の遺言

線香よりも竹刀の音を…近藤勇の志を継いだ明治時代の剣客・近藤勇五郎の遺言

妻や息子に先立たれ……

しかし、よいことばかりいつまでも続かぬもので、明治19年(1886年)6月28日、妻の瓊が25歳の若さで他界してしまいました。

妻に先立たれた寂しさをこらえ切れなかったか、勇五郎はやがて“たよ”と再婚しますが、姑のつねと折り合いが悪かったため、2年半ほどで離婚。

それでも夫婦生活を諦めきれない勇五郎は後に“かし”と再婚。三度目の正直か今度は折り合いがついたようで、次男の近藤新吉(しんきち。正行)を授かりました。

男の子が二人もいれば将来は安泰……天然理心流の後継者として期待していた久太郎でしたが、日露戦争に出征して明治38年(1905年)に23歳という若さで戦病死してしまいます。

「天然理心流の6代目を譲りたいと思っておったのに……そろそろ引退したいが、新吉はまだ幼すぎる……」

というわけで高弟の桜井金八(さくらい きんぱち。義祐)に第6代目宗家を襲名させ、天然理心流の剣統を受け渡したのでした。

晩年は日本の幕末期を知る者の一人として作家の子母澤寛(しもざわ かん)から取材を受けるなど往時の記憶を後世に伝え、昭和8年(1933年)2月23日に83歳でこの世を去ります。

その遺言は「俺が死んでも線香は要らない。ただ、竹刀の音だけは絶やさぬようにしてほしい」というもので、剣客らしい実に武骨な供養のリクエストでした。

天然理心流の宗家は第7代・近藤新吉、第8代・加藤伊助(かとう いすけ。修勇)……と受け継がれながら今日(第10代)に至ります。

終わりに

激動の幕末、時代に逆らって見果てぬ夢を追い続け、殉じていった近藤勇。

彼らが憧れた武士の世は遠く過ぎ去り、刀を帯びることもなくなった令和の現代ですが、その精神は剣術をはじめとする武道を通じて、人々に受け継がれています。

武という漢字は「戈(ほこ。武器転じて争い)を止める」と書き、平和を守る力(強さ)と意志(優しさ)を表すもの。

もしいつか機会があれば、勇五郎の墓前に竹刀の音を手向けてあげたいと思います。

※参考:

 

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