七夕には実は残酷な由来が…。織姫と彦星「七夕伝説」の真のストーリーをさぐる:2ページ目
中国では、星座のコト座のベガが織女(しゅくじょ)星、鷲座のアルタイルが牽牛(けんぎゅう)星とされています。織女星は裁縫の仕事を、牽牛星は農業の星をそれぞれ司っており、それぞれが伝説の織姫と彦星になぞらえられました。
二人が会える七月七日は、天の川に鵲(かささぎ)が橋を架けます。しかし曇りの日は天の川が氾濫してまいます。そこで、二人が無事に合えるように……という願いを込めて、笹に短冊を飾るようになりました。
もともと中国では、女性が裁縫の腕前の上達を願って織女星にお願い事をする「乞巧奠(きっこうでん)」という行事がありました。これが上記の伝説と交ざり合って「七夕にお願いごとをする」という行事に発展していったのでしょう。
日本、そしてアジアの「七夕」
さて、この伝説が日本にも伝わります。
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それ以前から、日本には旧暦の七月に衣服を織る風習があったそうです。これは、翌月のお盆に先駆けて祖先の霊を迎えるために行われるものでした。
作業にあたる女性は、神様に選ばれた巫女さんです。家にこもり「棚織(たなばた)」という機械を使って織物を織ったと言います。
そして、この女性のことや、ご先祖様のために竹で棚を作ってお供え物をする行事を「棚織女(たなばため)」と呼んだといいます。
織姫と彦星の伝説がこれと交わり、「七夕」を「たなばた」と読むようになったのです。
ちなみに、日本では笹や竹は霊の宿る「依代(よりしろ)」であるとされてきました。
願い事を書いた短冊を笹に飾る行事も、こうした謂れに基づくと思われます。
また、織姫と彦星の伝説は、同様のものが韓国やベトナムにも伝わっています。
東アジアで特にこれが広まっているのには理由があります。この地域では七夕の季節になると、先述した織女星と牽牛星が最も美しく見えるからです。
ただ、伝説と照らし合わせてみると皮肉な話ですが、この二つの星が接近することはありません。どちらの星も恒星だからです。
私たちにとって当たり前と言っていいほど馴染み深い七夕という行事にも、こんな由来と謂れがあるんですね。
参考資料
- 火田博文『本当は怖い日本のしきたり』(彩図社・2019年)
- hanamaru「七夕の由来を子供向けにわかりやすく簡単解説|短冊と飾りの意味は?」
- マミフラワーデザインスクール「考花学のすすめ【第七回】竹の話」