意識高すぎ!?武士の理想像を追い求めた江戸時代の剣豪・平山行蔵【下】:2ページ目
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エピローグ
そんな行蔵にもやはり老いは訪れるもので、ある時、友人の堂々木柔兵衛(どうどぎ じゅうべゑ)が還暦祝いに大きな刀を作らせたということで、それを見せびらかしに来ました。
刃渡りは3尺5分(約106cm)、太さ6寸(約18cm)、重さは6貫目(約22.5kg)という代物で、刀と言うより、もはや鬼の金棒。
「さすがにいささか重すぎはせぬか?」
若い頃なら「ちょっと見せてくれよ、おい、試し斬りしていいか?」などと訊いたであろう(が、今は訊いてこない)行蔵の変化を感じてか、柔兵衛は強がって答えます。
「刀は重いに越したことはない。持ち上げさえすれば、手を放しても(自重で)斬れるからな」
「……ははは……」
行蔵が世を去ったのは文政11年(1828年)12月14日、70歳の生涯に幕を閉じたその遺品を検(あらた)めると、狭っ苦しい家の中にはトータル2,980巻1,085部の兵法書、362種類の武器が蒐集されていた(家じゅうあちこち乱雑に転がっていた)と言います。
泰平の世に馴染めなかった不器用さから、武士としてあるべき姿を模索し続け、自己鍛錬に明け暮らした平山行蔵。傍目からは滑稽に見えても、当人は至って大真面目でした。
偏屈ながらどこか憎めないその生き方は、どこかで見たことがあるような、ないような……そんな気持ちにさせてくれます。
【完】
※参考文献:
勝小吉『夢酔独言 他』平凡社ライブラリー、2000年3月
綿谷雪『新・日本剣豪100選』秋田書店、1990年4月
小佐野淳『概説 武芸者』新紀元社、2006年2月
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