新時代への反骨精神?江戸への旧懐?“最後の浮世絵師“ 小林清親が魅せる多彩な才能:2ページ目
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明治の革新から古き良き江戸趣味へと変化する作風
明治17(1884)年には歌川広重の『名所江戸百景』にインスパイアされた、『武蔵百景之内』を刊行。近くの物体を大きく描く構図をはじめとする多くの共通点が見られ、清親が「明治の広重」と呼ばれる所以となった。
どこか懐かしい古き良き日の江戸の面影を残したその風景は、江戸に生まれ育った清親にとっては慣れ親しんだものであり、近代化が進むにつれ失われ始めていたものでもある。目まぐるしい速度で東京へと変貌していく江戸を清親はどんな気持ちで描いただろう。
清親を表す言葉として、「最後の浮世絵師」がよく使われる。それは明治も中頃を過ぎると写真などの新たなメディアの台頭により、浮世絵の需要が低下し廃れていったからだ。
当時活躍していた浮世絵師たちが最後に描き残したいものは一体何だったか。清親の場合は、もう戻ることのないあの日の江戸だったような気がしてならない。
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