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水上の小舟で切腹。秀吉に武士の鏡と称賛された戦国武将「清水宗治」の忠義【前編】

水上の小舟で切腹。秀吉に武士の鏡と称賛された戦国武将「清水宗治」の忠義【前編】

毛利氏家臣時代

毛利氏に加担した宗治は、12代当主・毛利元就の三男である小早川隆景に仕えた。

1566年。毛利氏は絶対的な影響力を誇っていた元就と、孫の14代当主・輝元によって中国地方をほぼ統一。全国でも有数の大名家となる。

一方、京都では織田信長が足利義昭を伴い上洛に成功し、戦国大名として台頭。元就の時代には友好関係にあった両国だったが、1573年に信長が追放した足利義昭を輝元が庇護したことから関係が悪化する。

信長にとって天下統一の障壁となる毛利氏は滅ぼさなければならない相手であり、1577年以降になると中国攻めを本格化させた。中国地方の派遣を争う毛利氏と織田氏の戦いは、信長が本能寺で横死するまでの6年間に及び、宗治は隆景の元で織田軍との交戦に身を投じていく。

【後編へ続く】

 

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