大河ドラマ「平清盛」で物議をかもした、朝廷を「王家」と呼ぶ表現は正しいの?:2ページ目
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新儀を巧み出すよりも……
こうした「歴史の新常識(?)」がどうして度々生み出されるのかと言えば、一つに学界の事情が考えられます。
限られた過去について取り扱う歴史学は、どうしても研究が行き詰まりがちであり、研究機関における予算要求や出世には実績(≒新発見)がモノを言うため、学者の中には新奇をてらう手合いも出て来るわけです。
本郷氏によれば「皇室を貶める意図はない」旨を説明しながら、この「王家」表現は波紋を呼び、国会で当時のNHK会長が答弁を求められるまでの騒ぎに発展しました。
こういう問題が起きると、制作サイドはあくまでも歴史のリアリティを追求する立場を強調しますが、登場人物の言葉遣いや価値観などがいかにも現代々々していながら、一部だけ「王家」や「立て膝座り」をねじ込むアンバランスさが、国民の違和感を招いてしまうのではないでしょうか。
フィクションとは言え、広く一般国民の歴史認識に大きな影響を及ぼすメディアだからこそ、些末な新儀を巧み出すことよりも、日本の歴史をテーマとして先人たちへの敬意や感謝、そして未来へ挑戦する勇気と希望を与える番組づくりが求められます。
※参考:
本郷和人『謎とき平清盛』文春新書、2011年11月
皇室を「王家」 適切なの? NHK大河「平清盛」に疑問の声
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