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城が欲しくば力で奪え!戦国時代、徳川家康と死闘を繰り広げた女城主・お田鶴の方【上】

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「海道一の弓取り」義元の死に、連龍の決断は?

主君・今川義元が上洛を目指して尾張国(現:愛知県西部)の小大名・織田信長(おだ のぶなが)を攻めたところ、返り討ちに遭ってしまったこの戦いで、舅である飯尾豊前守善四郎乗連(のりつら。豊前守と善四郎は世襲)が討死してしまいます。

「父上!」「お義父様!」「祖父上!」

しかし、悲しんでばかりもいられません。駿河・遠江・三河の三国(現:伊豆半島を除く静岡県~愛知県東部)に勢力を伸ばして「海道一の弓取り」と称えられた英雄・今川義元を喪ったことで、今川家は崩壊の危機に直面。

「さぁ、どうする(=誰に臣従する)?」

家督を継承した連龍に考えられる選択肢は以下の通りです。

一、義元の後継者である嫡男・今川氏真(うじざね)
一、北の武田信玄(たけだ しんげん)
一、西の織田信長orその手前の松平元康(まつだいら もとやす。後の徳川家康)

スジからすれば、主君の今川家に忠義を尽くすのが順当ですが、氏真に戦国乱世を生き抜くだけの器量は見込めず、武田や織田(or松平)への鞍替えもやむを得ないところ……もちろん、傾きつつある今川家を全力で支えるという決断もなくはありませんが、

「……織田殿に味方しよう」

決断した連龍は松平元康の仲介によって信長と内通。その頃、お田鶴の方の実家である三河の鵜殿一族も、兄・長照の本家を除いてみんな織田&徳川に内通していました。

ただし、信長は東(三河・遠江方面)より北の美濃国(現:岐阜県南部)を攻略したかったため、ゴタゴタしている今川家勢力はしばし放っておき、連龍も表向きは氏真に臣従を継続します。

そんな内情を抱えながら辛うじて保たれた束の間の平穏ですが、それはあえなく崩れ去ってしまうのでした。

【続く】

※参考文献:
中山和子『三河後風土記正説大全』新人物往来社、1992年
楠戸義昭『井伊直虎と戦国の女城主たち』河出文庫、2016年
御手洗清『家康の愉快な伝説101話』遠州伝説研究協会、1983年

 

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