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モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【六】

モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【六】

日本からの支援で「勤王師扶国軍」総帥に

「……との事だ。どうする?」

バボージャブから必死の要請が届いた関東都督府(日本陸軍。現:遼寧省遼陽市)では、支援の諾否について検討されていました。

「モンゴルの英雄をむざむざ見捨てるのは忍びない……本件につき、自分にお任せ願えませんか」

名乗り出たのは陸軍通訳官の川島浪速(かわしま なにわ)。以前に失敗した第一次満蒙独立運動(宣統三1911年)で、バボージャブと親交を深めていました。

「良かろう……」

バボージャブへの支援が承認された川島は、さっそく大倉財閥から軍資金を調達、また軍部からは武器弾薬を調達。いわゆる大陸浪人や予備役軍人を掻き集めて、急ぎ派遣します。とは言っても、別にモンゴル民族独立の理念に共感したとか、単なる友情ではありません。

当時の日本は第一次世界大戦(1914年~1918年)の一環として大陸に駐屯していたドイツに宣戦布告。中華民国の大総統・袁世凱(えん せいがい)に対して圧力をかけて大陸沿岸部の利権を確保する目的がありました。

しかし肚の内はともかく、バボージャブにとっては旱天の慈雨にも等しい支援。これを受けて勢いを取り戻した軍勢は3,000余騎まで膨れ上がり、「勤王師扶国軍(きんのうすいふこくぐん。大ハーンに忠義を尽くし、大モンゴル国を助ける軍)」を称します。

「我らが主君ボグド=ハーンは、その聖なるがゆえに俗世の力を持たれず、ロシアと中華民国に臣従の屈辱を強いられている……なれば我々がハーンのお力となり、おわすべき聖座へ奉戴しようではないか!」

かくて総裁となったバボージャブは、大モンゴル国の独立を取り戻すべく、最後まで戦う決意を訴えるのでした。

【続く】

※参考文献:
楊海英『チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史』文藝春秋、2014年11月
波多野勝『満蒙独立運動』PHP研究所、2001年2月
渡辺竜策『馬賊-日中戦争史の側面』中央公論新社、1964年4月

 

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