モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【六】:2ページ目
絶望のキャフタ協定……そして賊軍に
「バボージャブが目障りだ!一刻も早く首都フレーへ戻らせろ!」
「……との事だ。一刻も早く処置するように」
中華民国からのクレーム、そして宗主国・ロシアからの命令を受けたボグド=ハーンはバボージャブ将軍に「東南辺境モンゴル人鎮撫官兵総管大臣ショドルゴ・バートル世襲鎮国公」という称号を授けますが、南モンゴル解放の執念に燃えるバボージャブ将軍が帰還することはありませんでした。
そうして1年……2年と南モンゴルを睨みながら、陰でゲリラ戦を展開していたバボージャブ将軍の元へ、絶望的な悲報がもたらされます。
時は民国四1915年、キャフタ(現:ロシア連邦ブリヤート共和国。シベリア南部)で開催されたロシアと中華民国、そして大モンゴル国の三国会談の結果、大モンゴル国は中華民国の宗主権も承認させられることが決定しました(キャフタ協定)。
大モンゴル国は「ロシアと中華民国の双方に従属」、つまり「南モンゴルを中華民国の領土と認める=領有権を放棄する」ことを表明してしまったのです。
「そんな……嘘だ!断じて認めん!認めんぞ!」
これまで身命を惜しまず戦い続けたのは、一体何のためだったのか……絶望のどん底に突き落とされたバボージャブ将軍に追い撃ちをかけるように、ロシアと中華民国の命令を受けたボグド=ハーンから「バボージャブ追討」の勅命が下されました。
大モンゴル国のため、一点の私欲もなく戦い続けたバボージャブ将軍に対してあんまりな仕打ち……とは言っても、ロシアと中華民国の意向に逆らえば、ボグド=ハーンが潰されてしまいます。
「おのれ腰抜けめ……仕えるべき主君を間違えたか……しかし、たとえ腐っても大ハーンと干戈(かんか)を交えるのは、モンゴル民族としてあまりに忍びない……」
賊将の烙印を押されたバボージャブは、ボグド=ハーンの権力が及ばない大モンゴル国の外へ越境して南モンゴル東部へ進攻。拠点を確保するべく暴れ回ったものの、衰運のバボージャブを見限った兵士たちが一人減り二人脱走し、ジリ貧は否めません。
このままでは、遠からず手詰まりとなる……バボージャブはかつて共に戦った日本に支援を求めました。