江戸時代、主人殺しと不義密通を犯した男女の逃亡劇「女川騒動・飯田口説」:2ページ目
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最終逃亡先である岩手の小国では、喜右衛門の指示による治水工事で村が潤い感謝されている。
藩主になって間もない6代宗村も「放っておけば」的発言をしている。しかし懸賞金をかけられ執拗な追ってにより、せっかく南部藩まで逃げ延びたのに、あっさり捕縛されてしまう。
ふたりは七北田刑場に送られ、磔にされて凄惨な最期となった。今も仙台市泉区の七北田刑場跡にはお節の供養碑があり、仙台の新寺小路の善導寺で供養されているが、喜右衛門の死後は不明である。
主殺しの事件が、時間の経過とともに悲恋物語となり飯田口説は1時間以上にも及ぶとされるが、現在語る人はいないという。
当時のエンターテイメント性を持ったメディアの脚色と、古文書や古老の口伝とでは内容に若干のズレがあるようで、当記事は様々な方が発信している内容をまとめたものである。
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