その手があったか!人々の心を見事に掴んだ織田信長の「引っ越し」エピソードを紹介【下】:2ページ目
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終わりに
……なのですが、実は信長に「居城を二ノ宮山に移す」つもりなど全くありませんでした。
最初から小牧山に着目して移転する肚(はら)を決めていたものの、みんな便利で快適な清州から移住することに抵抗があるので、次なる戦略を遂行するモチベーションを維持するためにも、なるべく不満は残したくありません。
そこで信長は、まずわざわざ山に登る芝居まで打って「(不便極まる)二ノ宮山に居城を移転する」と命じることで家臣や領民の不満を一気に高めてしまい、一通り怒らせたタイミングで「分かった分かった。みんなの意見を聞き容れて、小牧山にしよう」と物分かりの良さを示します。
すると人間不思議なもので、「二ノ宮山よりよっぽどマシ」と思うだけで小牧山が魅力的な移転先に見えてきて、おまけに「御屋形様も、わしらの言い分を聞いて下さった事だし」と怒りも解消。
かくして「ガス抜き」に成功した信長は粛々と小牧山への移転に成功。ほどなくして美濃国も攻略、岐阜城へと移っていくのでした。
恐ろしいばかりでなく、時として人の心を見事につかんで「天下布武」へと邁進していった信長らしいエピソードだと思います。
【完】
参考文献:和田裕弘『信長公記―戦国覇者の一級史料』中公新書、2018年10月5日 4版
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