江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜、あまり語られない隠居後は趣味人としての道をまっしぐら?:3ページ目
また、これは将軍になる以前からだといわれていますが、和食よりも洋食を好み、当時禁止されていた豚肉まで食べていたことから、「豚一殿」(豚を好んで食べる一橋殿)などとあだ名もつけられていました。
このように趣味に生きた慶喜の晩年でしたが、1913(大正2)年11月に亡くなります。死因は、急性肺炎を併発した感冒でした。
水戸藩主・徳川斉昭の子どもとして生まれたために最後の将軍の座に就くことになり、苦難の道を歩むことになった慶喜の生涯。それでも77年の生涯のうち、およそ半分ほどは趣味の世界に没頭できた彼の人生は穏やかなものだったと考えられています。
それにしても激動の時代のなかで、短時間で多くの趣味を極めた慶喜は、かなりの切れ者であり、凝り性だったと思われます。時代が時代ならばきっと有能な将軍になっていたのかもしれません。