悲しき定め…戦国時代に将来を期待されるも若くして亡くなった3人の嫡男たち:3ページ目
父から期待を一身に受けていた長曾我部信親
最後は長曾我部信親です。
信親は土佐の出来人と謳われた長曾我部元親の嫡男です。幼少の頃から聡明で将来を期待していた元親は一流の学問と武芸の師を信親に当て、英才教育を施します。
また、信長にも気にかけてもらい、「信」の偏諱や自らの養子にしたいと願い出たくらい周囲からも将来性を見込まれていました。
184㎝の高身長にイケメンと知勇兼備という高スペックに育った信親は天正14年(1587)の戸次川の戦いで、無謀な突撃を行い真っ先に撤退した仙石秀久隊に代わって島津軍と交戦するも討たれてしまいました。
手塩に掛けた信親を22歳の若さで失った元親の性格は一変し、自分の意見に反対する者は一族だろうと容赦なく粛清するようになります。
それ以後長曾我部家は、後継者問題や家臣間の争いによってどんどん衰退していくのでした。
最後に
将来を期待してればしているほど失う時の打撃は計り知れないものです。
その悲しみを踏み越えなければ、待ち受ける運命は滅びか衰退という選択肢しか与えない戦国時代がいかに酷な時代かわかりますね。