男らしすぎる!天下人・豊臣秀吉が称賛した大名・鍋島直茂の活け花エピソードを紹介:2ページ目
秀吉主催の活け花大会にて
今は昔、天下統一を果たした太閤・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が全国の諸大名を集めて活け花大会を催した時のこと。秀吉は大名ひとり一人に花と道具一式を配り、銘々に活けさせました。
もちろん、好き勝手に活けてそれでおしまいではなく、きちんと活けられるか否かで各人の素養を見極める、いわば秀吉による人事考査の一環です。大名たちもその辺りの空気を読んでおり、その反応はさまざま。
こんな機会もあろうかと、あらかじめ修練しておいた器用者もいれば、領国経営に手一杯で花など手にとることもなく、鋏を持つ手元さえ覚束ない者もいたでしょう。
出来る者は存分に腕を奮い、出来ない者も見よう見まねでそれなりに花を活けていく中、身動ぎ一つせぬ者がおりました。
彼の名は鍋島直茂(なべしま なおしげ)。かつて討死した主君・竜造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)の跡目を継いで苦境の血路を斬り開き、肥前(現:長崎県)の大名となった傑物です。
そんな直茂は配られたままの花と、水を湛えたまま空の花器を前に「出来申す」と申告しました。
「どれどれ……直茂は如何に活けたかのう(※心の声:ふふん。肥前の田舎大名が、どんな花を活けたか見てやろう)」
秀吉が楽しみ(意味深)に直茂の席までやって来ると、果たして最初に配られたままの花と花器があるばかり。
「なんじゃ直茂。出来ておらぬではないか」
(さては華道の素養がないものじゃから手も足も出ずに音を上げおったか?……出来ずとも、少しはいじくれば良かろうに、存外だらしのない男じゃのう)
そう失望する秀吉でしたが、直茂の意図は違いました。