大谷吉継は友のために、鳥居元忠は主君のために…それぞれの想いのために関ヶ原の戦いで散った2人の武将たち:2ページ目
大谷吉継と石田三成の友情物語!「友のためにこの命捧げよう!」
吉継は三成と同じ近江国出身で歳も同じだったことから少年時代から仲が良く賤ヶ岳の戦いでは共に奮戦しました。
そのことから豊臣秀吉に共に戦ったもう1人と「秀吉の三振りの刀」と称賛されています。
また、「計数の才」(計算に強い)があったので秀吉は2人をその部門に長けた奉行に附けたということもあってか、行動を共にするうちに自然と友情が生まれていきました。
戦国の世は昨日の友は今日の敵と言われるように友を持つということは滅多にありませんでした。友を持ったとしても利害の一致から一時的になるくらいだったので2人の関係は非常に稀でした。
2人の仲がより深くなったのは天正15年(1587)に大坂城で行われた茶会でした。
当時、吉継はある病気を患っていました。何の病気かは諸説あるのですが、感染する病気として周りから思われていました。
そのため、吉継の次に茶碗に手を付ける人は飲んだふりをして次に回していました。
この光景を見た吉継は何とも言えない気持ちになったに違いありません。しかし、三成だけが茶碗に入った茶を飲み干し、さらにもう一杯を所望しました。
この三成に思いに感動した吉継はこの先何があっても三成につき従うと決めたそうです。
その13年後に吉継は負けるとわかっていても三成の覚悟に賛同し、病気のため足が動かないので神輿に乗って出陣。
西軍の小早川秀秋の裏切りに合いながらも奮戦し、三成に想いを託すように関ケ原の地に散りました。
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