
源氏と平氏の立場逆転!”武士の世”の始まりを告げ歴史が大きく動きだした「平治の乱」をわかりやすく解説:2ページ目
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清盛は戦いの前に、まず後白河法皇と二条天皇を助け出す作戦を立てます。その方法が「女装作戦」でした。なんと天皇を女性の服に着替えさせ、密かに宮中から脱出させたのです。無事に脱出に成功し、清盛は天皇の名のもとに義朝たちを討つことを決意します。
そして清盛は京都に戻ると、すぐに義朝たちに攻撃を仕掛けます。最初は義朝も応戦しましたが、次第に劣勢になり、ついには敗北。戦いに勝った清盛は、信頼を捕まえて処刑しました。
戦いに負けた義朝は、なんとか東国へ逃げようとしました。しかし、途中で家臣の裏切りに遭い、最期は自ら命を絶ちました。一方、義朝の息子である源頼朝(みなもとのよりとも)は助命され、伊豆(いず)に流されることになります。
平治の乱に勝利したことで、平清盛の力はさらに強くなり、平氏は日本の頂点に立つことになります。清盛は後白河法皇と協力しながら政治を進め、最終的には天皇の外戚(がいせき)となって朝廷の実権を握りました。
しかし、源氏が完全に滅びたわけではありません。伊豆に流された源頼朝は、そこで力を蓄え、後に平氏を滅ぼすほどの戦を起すようになるのです。
この戦いは単なる政変ではなく、日本の歴史の流れを大きく変える出来事でした。平氏が栄えるきっかけになっただけでなく、源氏が再び力を持つきっかけにもなったのです。
学校の歴史の授業や国語の古典の授業では、『平家物語』『源平盛衰記』などの影響もあり、どちらかというと源平合戦ばかりにフォーカスがおかれるようになってしまうかもしれませんが、その後の武士の繫栄を考える際、一つの大きな転機となった争いで間違いないでしょう。
参考文献
- 河内祥輔『保元の乱・平治の乱』(2002 吉川弘文館)
- 元木泰雄『〈NHKブックス〉保元・平治の乱を読みなおす』(2004 日本放送出版協会)
- 古澤直人『中世初期の〈謀叛〉と平治の乱』(2019年 吉川弘文館)
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