
鎖国を続けていた日本が明治時代になって超短期間で近代化できた5つの理由を解説
日本は、江戸時代まで約260年間「鎖国」を続け、海外との関わりを制限していました。しかし、明治時代(1868年~1912年)になると、わずか数十年で西洋の技術や制度を取り入れ、近代的な国へと生まれ変わりました。
鉄道が走り、工場が建ち、学校で多くの子どもたちが学ぶようになり、軍隊も西洋式に改められました。この驚くべき変化は、なぜこんなに短期間で実現できたのでしょうか?
今回は、その秘密を一緒に探っていきましょう。
1. 日本を襲った西洋列強の脅威
19世紀の半ば、西洋の国々はアジアの国々を次々に植民地にしていました。例えば、中国はアヘン戦争(1840~1842年)でイギリスに敗れ、多くの領土を奪われています。そんな中、1853年にアメリカのペリー提督が黒船を率いて日本に来航し、開国を求めました。
当時の日本は西洋の軍事力を目の当たりにし、「このままではいずれ日本も支配されてしまうのではないか」という危機感を強く抱きました。
そこで明治政府は、「富国強兵(ふこくきょうへい)」というスローガンを掲げ、国を豊かにし、軍隊を強くすることを目指しました。これが、日本の近代化の大きな原動力となったのです。
2. 近代的な軍隊の整備
「富国強兵」を実現するため、政府は西洋式の軍隊を整備しました。1873年には「徴兵令」を発布し、すべての男性に兵役の義務を課しました。それまでの日本の軍隊は武士が担っていましたが、この制度によって武士に限らず国民全体が軍隊を支える仕組みへと変わりました。
また、ドイツの軍隊の仕組みを参考にし、最新の武器や戦術を導入しました。その結果、日本の軍隊は急速に強くなり、日清戦争(1894~1895年)や日露戦争(1904~1905年)で勝利するほどの力を持つようになりました。
2ページ目 「殖産興業」による経済の発展、教育改革と人材の育成