下級武士からの大出世!蝦夷地開拓に雄志を馳せた幕臣・松本秀持(吉沢悠)の生涯【大河ドラマ べらぼう】:2ページ目
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失脚と晩年
果たして蝦夷地調査は順調に進み、いよいよ蝦夷地開拓に乗り出そうとした天明6年(1786年)、計画はいきなり頓挫してしまいました。計画の後ろ楯であった田沼意次が失脚してしまったためです。
そのあおりを受けて同年閏10月5日、秀持は小普請(こぶしん)へと降格。逼塞(ひっそく。謹慎)を命じられました。
小普請とは普請(ふしん。工事)に伴う役職の一つですが、実質的には予備役であり、無役同然の扱いです。
ひとたび不遇に陥(おちい)れば、もっと陥(おとしい)れようとするのが世の習い。
今度は越後買米事件(※米の買付資金500両を横領)で勘定組頭の土山宗次郎(つちやま そうじろう)が斬首されると、連帯責任で減知(知行を減らされる)され、さらに逼塞を命じられました。
天明8年(1788年)5月に赦されるも政界に復帰することはなく、寛政9年(1797年)に世を去ります。享年68歳。
墓所は幸龍寺(東京都世田谷区北烏山5丁目)にあり、今もその遺徳を慕う人々が参詣しています。
終わりに
今回は田沼意次に見出され、蝦夷地開拓の雄志を馳せながら、失意の内に世を去った松本秀持の生涯をたどってきました。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華之夢噺~」では、吉沢悠がどんな人物に演じてくれるのでしょうか。今から楽しみですね!
※参考文献:
- 賀川隆行『日本の歴史11 崩れゆく鎖国』集英社、1992年7月
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