片腕のサムライ!戦国時代〜幕末、腕一本になろうとも不屈の闘志で刀を振るった隻腕の武士たち:2ページ目
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伊庭の小天狗と称された伊庭八郎
そして2人目は伊庭の小天狗と称された幕末の武士、伊庭八郎(いば-はちろう)です。
天保8年(1844)に生まれた八郎は幼いころから漢学や蘭学といった学問に興味があったので、剣術稽古を16の頃から始めました。それでも才能があったので、八郎は伊庭の小天狗や伊庭の麒麟児と呼ばれていました。
慶応2年(1866)、八郎が以前に所属していた江戸幕府軍の部隊、奥詰隊が遊撃隊となると八郎も加入します。
そして慶応4年(1868)に鳥羽伏見の戦いが勃発すると遊撃隊は上洛し、新政府軍と戦いますが、敗れてしまったので江戸へ退却します。
その後は遊撃隊の一部を率いて彰義隊と新政府軍の戦いである上野戦争に参戦し、箱根付近で戦いました。その時、左手首に皮一枚を残す重傷を負いますが、自ら左腕を切断しました。
左手を失いながらも戦いを続けた八郎は、箱館に到着するも明治2年に木古内の戦いで胸部に致命傷を負ってしまいます。そして最後は榎本武揚からもらったモルヒネを飲み干し、自害しました。
最後に
主君のために戦った土屋昌恒と幕府軍の勝利のために戦った伊庭八郎の目的は違えど、戦わなければならない状況に置かれていたのは事実です。
そんな状況下で片腕となっても戦い続けた2人の生き方には目的を達成するまでは死んでも諦めてはならない折れることのない意志を感じとれました。
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