江戸時代、日本の暦を作り替えた偉大なる天文学者・高橋至時の功績【後編】:2ページ目
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高橋至時の遺志を受け継いだ人々
また、至時の業績はそれだけに留まりません。50歳を過ぎてから学び始め、日本全国を測量して正確な地図を作ったという伊能忠敬にも、天文学の基礎を教えたのが至時です。
忠敬の測量によって作られた地図は、その後の日本の発展にとって非常に重要な役割を果たしました。至時の教えが基礎となり、忠敬は測量を成功させ、日本の地理的理解を深めることができたのです。
至時は1804年に40歳という若さで亡くなりましたが、その死後、その功績は弟子たちによって受け継がれました。特に、長男である高橋景保(たかはし かげやす)は、亡き父の仕事を引き継ぎ、同じく天文方として活動しました。
高橋至時・景保親子の情熱と努力はまさに、今日の日本における科学技術の発展の礎ともなっているのです。
参考文献:鳴海 風『星に惹かれた男たち 江戸の天文学者 間重富と伊能忠敬』(日本評論社 2014)
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