東京=江戸ではない!?江戸時代の有名な”アノ人”の過労死で決まった江戸の範囲:2ページ目
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きっかけは町奉行の過労死
当時、江戸の司法・行政を担当していたのは町奉行。遠山の金さんが有名ですね。今の東京都知事と警視総監、それに東京地方裁判所長・東京駅の駅長を兼務したような要職で、江戸全体の治安維持を受けもっていました。
この町奉行、激務のあまり過労死者が後をたたない恐ろしいポストでした。町奉行らの負担を軽減するためにも、江戸開闢から200年経った文政元(1818)年にようやく行政の範囲と江戸の範囲を決めようという事になりました。
江戸の範囲決定!
幕府は地図に赤い線を引き、その範囲内は江戸であると定めました。さらにもう少し狭い範囲に黒い線を引き、行政の範囲を定めました。
その外で起きた事件は遠山の金さんも知らんぷり、関東郡代の支配というわけです。
結論、江戸の範囲は江戸城内堀から4里(約15.7キロ)四方、すなわち今の千代田区、 中央区、港区、新宿区、文京区、台東区、墨田区、江東区、渋谷区、豊島区、荒川区全域と、それに品川、目黒、 北、板橋区の一部となりました。
さて、あなたのお住まいは「江戸」に含まれていましたか?
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