天皇が女官を裸にして相撲をさせたのが始まり!?古来からある「女相撲」の歴史【前編】:2ページ目
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『日本書記』に登場する「女相撲」
実は「女相撲」も歴史が古く、『日本書紀』には、古墳時代の天皇・雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)のある思いつきがきっかけで、相撲が生まれたと記されているそうです。
それは雄略天皇十三年(469年)の頃。
気性が激しく暴君的な部分も多かったという雄略天皇は、ある日突然、采女(女官)たちに着物を脱いで裸になり、褌いっちょで相撲をとるように命じたそうです。
(原文)乃喚集采女、使脱衣裙而著犢鼻、露所相撲。
(訳)天皇は采女(うねめ。宮中の女官)を集め、着物を脱がせ、褌を締めさせ、みんなの前で相撲をとらせた。
「相撲」という言葉がでてきたのはこの『日本書紀』が初めてだそうです。
パワハラ・モラハラ・セクハラも甚だしい、現代なら完全にアウトの出来事ですが、当時は天皇命令に逆らうことはできなかったのでしょう。女官たちはほぼ全裸に近い状態でまさに「肉弾相打つ」状態で相撲をとったとか。
相撲協会では、天皇元年(642年)に朝廷が開催した健児(兵士)相撲を「相撲」の起源としているそうです。
それは、「この雄略天皇のエピソードがあまりにもひどいので、それを相撲の起源と呼ぶには憚られるからではないか」……という声もあります。
いったい、なぜ女官たちに裸になって相撲をさせることになったのか、そしてその後の女相撲の経緯はどうなっていたのか【後編】でご紹介しましょう。
【後編】の記事はこちら↓
天皇が女官を裸にして相撲をさせたのが始まり!?古来からある「女相撲」の歴史【後編】
相撲は男同士が行うもので女人禁制のイメージがありますが、『日本書紀』の記述には、雄略天皇13年(469年)の頃。天皇が突然、女官たちに裸になって相撲をするように命じた……ということが記されています。…
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