卑弥呼は巫女?それとも女王?謎に包まれた古代日本の女王をめぐる最新の学説!:2ページ目
卑弥呼に実権はなかった?
繰り返しますが、最も有名な魏志倭人伝でも「邪馬台国は女王の住む都」だという記述はあるものの、「卑弥呼が邪馬台国の女王だ」とする記述は存在しません。
となると、卑弥呼は他国から邪馬台国へ、倭国の盟主としてやってきただけという可能性も考えられます。
そもそも、邪馬台国が倭国を支配していたという考えについても、現在は否定的な意見が少なくありません。
卑弥呼の女王就任後も30程度の小国は乱立したままで、倭国全体を支配する王朝が存在しなかったからです。
つまり、いわば倭国とは連合国家のようなもので、邪馬台国は連合の盟主だったと考えられます。
さらに、卑弥呼は倭国のトップにこそ立ったものの、政治的実権はほぼなかったのではないかという説もあります。
魏志倭人伝によれば、卑弥呼の役割は巫術を用いた占いと神事だったようです。彼女には1000人の召使がいましたが、卑弥呼は宮殿の奥に篭って人前になかなか姿を現しませんでした。
この謎多き人物の政治を補佐したのが卑弥呼の弟で、給仕や伝令の取次は弟の役目でした。
本当は、この弟が政治の実務を担当しており、卑弥呼は倭国のシンボル的存在として君臨していたのではないか、ともいわれています。