上杉謙信×武田信玄「川中島の戦い」で語り継がれた一騎打ちや戦術など、実は創作だらけだった?:2ページ目
戦術も創作だらけ
創作が指摘されているエピソードは、他にもあります。
上杉謙信が使ったとされる車懸りの陣もその一つで、これは部隊が円を描くように波状攻撃をする戦術ですが、近代的な軍隊ならともかく農民主体の当時の軍では実現不可能な戦術だと言えるでしょう。
同じく、武田の別動隊が上杉本陣を奇襲した際に用いたという啄木鳥戦法も、1万2000人を奇襲に使うというずさんな内容から後世の創作だとされています。
では、信頼性のある史料に基づきながら『甲陽軍鑑』の内容も精査すると、第四次川中島の戦いはどういった経緯で進んだといえるのでしょうか。
合戦時、川中島には濃霧が発生していたと、複数の史料に記録されています。もしかするとそんななか、双方の軍が進軍先を見誤って偶然に接近したのかも知れません。こうした不測の事態により大乱戦になったと考えることができます。
ちなみにこの戦いでの両軍の死傷者は、あわせて2万5000人以上と言われています。数字を鵜呑みにはできないものの、激戦の末に多くの死傷者が出たことも間違いないのでしょう。