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【横浜観光スポット】氷川丸の船内神社「氷川丸神社」に参拝。激戦をくぐり抜けた船歴をたどる

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氷川丸の略歴史

氷川丸は北太平洋航路を結ぶ客船として建造されました。

ただし有事には軍用に改装できるよう計画されており、開戦後には特設病院船として改装・運用されます。

戦中はサイパン・トラック・パラオ・マーシャル諸島・ラバウルなど激戦地を回って負傷者の救護・搬送に当たりました。

任務の途中で触雷すること3度。1度でも沈没しかねないところを、乗組員らの努力と氷川神社のご加護をもって生き延びます。

敗戦後は特設輸送船として改装され、南太平洋各地に展開したまま取り残されていた将兵らの復員(本土帰還)に活躍しました。

復員任務を解かれた後は昭和28年(1953年)から十数年ぶりに客船としてシアトル航路に復帰します。

氷川丸の最終航海は昭和35年(1960年)、横浜→シアトル→横浜→神戸→横浜と約1ヶ月にわたる旅程でした。

こうして太平洋を横断すること254回(238回?)、25,000人以上の人々を運ぶ船歴に幕を下ろします。

当初は解体する予定だったそうですが、横浜市民らの要望も強く保存が決定。昭和36年(1961年)から山下公園に係留されました。

以来氷川丸は、見学施設やユースホステルとして活用されたほか、イベント会場などとしても親しまれます。

平成15年(2003年)には横浜市の指定有形文化財となり、平成28年(2016年)には国の重要文化財に指定されました。

船の文化財としては明治丸(めいじまる)に続く2番目であり、海に浮かぶ文化財としては国内初となります。

終わりに

多くの人々を楽しませ、救護し、そして敗戦後も復興の希望をつないだ氷川丸。どうかこれからも、末永く人々に愛され続けて欲しいものです。

皆さんも氷川丸を見学される機会がありましたら、操舵室に鎮座する氷川丸神社へお参りされてはいかがでしょうか。

 

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