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「この子が男に生まれていれば…」父・藤原為時を嘆かせた、幼少期の紫式部の天才エピソード【光る君へ】

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「男にて持たらぬこそ幸なかりけれ」

さて、紫式部が小さい頃から突出した才能を持っていたことを伺わせるエピソードがあります。それは為時が副字読に就任してから数年後のことでした。

おそらくこの時、彼女は十一歳くらいだったと思われます。『紫式部日記』に、その内容が記されています。

それによると、紫式部の弟である藤原惟規に、父の為時が中国の書籍(漢籍)を読ませていた時のことでした。

この時、惟規は書籍の内容がなかなか理解できず、覚えられずにいました。しかし、横でその内容を聞いていた紫式部は、弟よりも先にその内容を習得してしまったのです。

このことに気付いた為時は、何せ学問教育に熱心だったものですから、こう嘆いたといいます。

   口惜しう 男にて持たらぬこそ幸なかりけれ

口語訳すると、「残念だ。この子が男でなかったことが不幸というものだ」となるでしょうか。

本来なら、家督を継ぐはずの長男・惟規にこそ、為時は学問を修めてほしかったのでしょう。それだけに、姉の紫式部の頭の良さを口惜しく思っていたのです。

もちろん、惟規も無能だったわけではありません。彼はその後、父の足跡をたどるようにして大学寮で文章生になり、式部省の役人である式部丞や、天皇の秘書官のようなポジションである六位蔵人も務めました。彼もまた非常に優秀な官僚だったのです。

この頃は、家庭教育は七歳頃から行われるのが常でした。よって姉弟の年齢差はそのまま学才の差となっていたのでしょう。

参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)

 

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