「朝ドラらんまん」に登場する早川逸馬のモデル!民権運動に捧げた植木枝盛の生涯①:2ページ目
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政治や弁論活動との関わり
鬱屈した日々を送るかと思いきや、同年に中央政府で内部争いが勃発。征韓論争に敗れた西郷隆盛らが下野するという事件が起きます。
枝盛はこの明治六年の政変に触発されて上京を決意。当時からキリスト教に関係する『天道溯原』を愛読するなど、西洋の文化に触れていました。
明治8年(1875年)、枝盛は19歳で上京。慶應義塾内や三田演説館の「三田演説会」に頻繁に参加していきます。
彼は明六社にも加わり、慶應義塾の創始者・福澤諭吉に師事。学ぶとともに、自分自身で修文会を組織するなど活発に動いていきます。
さらに同年からは『郵便報知新聞』、『朝野新聞』、『東京日日新聞』などに投書を開始。精力的に活動していきますが、やがて事件が起こります。
枝盛が投書した一文の「猿人政府」が新聞紙条例に抵触。明治9年(1876年)3月より2ヶ月間収監されてしまいます。
朝ドラらんまんでは、集会を開いた早川逸馬が仲間と共に囚われるシーンがありましたね。
あのシーンはこの筆禍事件がモチーフにしていると考えられます。
逮捕された枝盛でしたが、政治に関する情熱は失っていませんでした。
同時期からキリスト教への興味を強め、耶蘇教会に通い始めます。加えて『思想論』などの著作を表すなど西洋の近代思想に傾倒していきました。
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