「沖縄県営鉄道」を知っていますか?史上最悪の鉄道事故は旧日本軍のミスで起きていた【前編】:2ページ目
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惨劇の発生
それは1944年12月11日のことでした。沖縄県営鉄道の糸満線で、兵員と武器弾薬を積んだ6両編成の列車が嘉手納駅を出発しました。途中の古波蔵駅で、方向転換と燃料補給のため、機関車だけが那覇駅方面に行きます。
そして、ガソリン入りのドラム缶を積載した無蓋車1両と有蓋車1両を牽引して古波蔵駅に戻り、元の6両を後部に連結。各車両に大勢の兵員と、通学の女学生も数人ほど乗せて糸満駅に向けて発車しました。
そしてまもなく、南風原村(現・南風原町)神里付近に差しかかかったところで、突然列車が轟音を立て大爆発しました。これによって積み込まれた弾薬も次々と誘爆を起こし、辺り一面は火の海になります。
この時の爆発音は、那覇市や島尻(南部)全域までも聞こえたといいます。
日本史上「最悪」
この事故で、乗っていた兵士210人前後と女学生8人、乗務員3人の合わせて約220人が犠牲となりました。
鉄道事故などの大事故について説明する際、事故のすごさを強調するために、実際には「歴史上最悪」の数字でもないのに「最悪の死者数」などと表記することがありますが、この事故については正真正銘、日本の鉄道事故における死者数としては最悪のものです。
かろうじて助かったのは、爆発直前にとっさに貨車から飛び降りて難を逃れた女学生2人と乗務員1人だけでした。現場に残っていた時計の針は4時30分頃を指していたとされています。
最後尾の1両は連結が外れ、弾薬と兵員は飛散し尽くして、燃え盛る貨車が那覇方向に坂を下って後退して行き、津嘉山駅まで到達しています。
【後編】では、一体この事故の原因は何だったのか、そしてのちの沖縄戦にどのような影響を及ぼしたのかを見ていきましょう。
参考資料
事故災害研究室
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